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2009/09/22 (Tue) 20:05:43

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掲示板ご挨拶で失礼します - 石巻支部 加藤睦美(女性)

2008/07/10 (Thu) 22:05:29

押忍、掲示板ご挨拶で失礼します。
4月秋田で開催されました大会ではご挨拶が疎かになりすいません。
地震もありましたが、瀧田先輩の方は大丈夫でしたでしょうか?
石巻の方は比較的被害はありませんでしたが、他地域は被害が今でも続いております。

全国合宿は参加なされますか?
私はまだ未定ですが参加する予定は立てております
合宿、大会でお会いしましたらまたご指導宜しくお願いします(・∀・)♬♬

近々暑中見舞いの葉書が行きますので御廻覧宜しくお願いします(´▽`*)

地震がありましたが - 大道塾 府中 牧野です(?)

2008/06/15 (Sun) 01:33:04

大丈夫ですか?
かなり大きな地震だったようで、ニュースでも道路が崩れ落ちたりしていたので、心配になりました。

Re: 地震がありましたが - 瀧田 巖(男性)

2008/06/16 (Mon) 17:49:15

オス!牧野先輩!すごい地震でしたが、自分も道場生のみんなも特に大きな被害もなく大丈夫でした。ご心配おかけ致しました。ありがとうございます!オス!

勝ちのイメージ。受けの達人。 - 瀧田 巖(男性)

2006/08/10 (Thu) 23:08:57

フム。なるほどよく考えれば一理あるなというのをひとつ書いておきます。


愛洲移香斎

兵法はさて、強いだけでようござろうか。姿もあり、色もあり、匂いもある。光もあれば影もある。それらをいっさいこめた人間の働きというものが、真性ではござるまいか。剛には柔を、直には曲を。なにも勝たいでも宜しい。相手の威を、すかし、かわし、ついにはその心くじきひしいでしまえば、それで宜しいでは御座らぬか。


柳生兵庫助利厳

力で剣をふるい、相手をねじ倒そうとするうちはまだ浅い。打ち込んでくる太刀、押してくる力をはたらけぬようにしてやるだけで、相手は何もできぬようになるのじゃ。


う~む。私がやってきた極真も大道塾も柔道も試合が始まったら一生懸命、技をだして相手を倒しにいきます。どの格闘技もそうですね。両者は互いにぶつかり合います。そうしないと試合に勝てないルールだから仕方ないことなのですが。はい。

テレビで、ビデオで、本で、いろんなメディアによって、格闘技というのは相手を叩きのめすことによって勝ちを得られるというイメージが多くの人々の頭に定着していますね。

でもですね。先にあげた文のように、相手の動きを封じるだけでもよいのではという気もします。

徹底的な受けの達人が相手だと考えてみて下さい。
もう、何を出しても受けられちゃうんです。または紙一重くらいの距離をとられて当てることができないんです。う~ん。考えただけで疲れてくるようですねぇ。

「相手の威を、すかし、かわし、ついにはその心くじきひしいでしまえば、それで宜しいでは御座らぬか。」

メディアのイメージにとらわれず、相手に勝つ方法のひとつの考え方として。では。(^O^)/

自分自身との比較でどれだけ向上したかが大切です。 - 瀧田 巖(男性)

2006/08/04 (Fri) 22:24:47

みなさん、こんばんは~。(^O^)/

「我々は、勝負偏重主義である!」
私が極真で選手をしていた頃の全日本のポスターに書いてあったものです。たしか大山館長が地球をバックに描かれていたような・・・。ちょっと忘れましたが、ははは、懐かしいですね。あの頃は私もそう思って練習に励んでいました。

でもですね、今はそう思っていませんねぇ。他人との勝負は二の次だと思っています。大切なのは、自分がどれだけ向上したかではないでしょうか。それも日々の稽古の中で。

自分で、今日はこういうところを直そうとか、大きな気合いをいれていこうとか、前回の稽古のときの自分より速く突き蹴りを出していこうとか、何か自分がこうしようと決めた事柄を精一杯努力してやり遂げることができたかどうか。ということの方がとっても大切です。

どういった事でも良いと思います。どんな小さな事でもいいのです。ひたすら自分を向上させること、自分という人間を創ることに一生懸命になって下さい。

私は、時間も有り経済的にも何不自由のない全日本上位(2位以下。優勝は別。)の人間よりも、働きながらもなんとかやり繰りして稽古にがんばって参加して歩みは遅くとも確実に自分自身を向上させている人の方を評価します。

さあ、明日もがんばっていきましょう!(^O^)/

大切なのは心に喜びを与えるという事です。 - 瀧田 巖(男性)

2006/08/04 (Fri) 00:17:12

こんばんは~。

さて、道場生のみなさんは無心になる心がけをしているでしょうか。ぜひ、常日頃の生活においても無心になるよう心がけてみて下さい。無心と言っても堅苦しく考える必要はありません。要は生活の中において、自分の心にマイナスの影響を及ぼす事柄に心をとらわれないようにするということです。

私はいつもそういう心がけで生活するようにしています。ぜひ、やってみて下さい。はじめはなかなか上手くいかず、気になってしまうような事でも、だんだん慣れてくるにしたがって気にならなくなってきます。いやホントに。はい。

でもですね。100%全てにおいてそういう心持ちになれるかというと、私もまだまだです。でも、80%くらいは気にならなくなってきます。それだけでもだいぶ日常生活が楽になってきます。少しでも進歩は進歩です。一気になろうとしないで、徐々に、徐々にです。イライラしやすい方はぜひやってみて下さい。

これは我慢するのではありませんよぉ。心持ちを転換させるということです。

我慢してはいけません。その物事を別の良い方面からとらえるのです。私は我慢するというのはあまり勧めません。とかく日本人は我慢とか忍耐とか好きですが、また、何か起こった場合それを試練と受け止めたりするのが好きですが、あまりそういうふうに考えて歯を食いしばって生活することを私は薦めません。

一生懸命に取り組むというのはとても良いと思います。でも我慢は違います。我慢しすぎていつまでも心の負担になるくらいなら、さっさと回避、または良い方面から考えるなどして、心を平穏にする事の方がとても大切だと思います。そして、また一生懸命取り組めばいいのです。

こういった意味で心をとらわれるなと言っている訳なんです。

そして、何よりも大切なのは心に喜びを与えると言う事。ここに人としての本当の生きがいというものがあるのです。誰でも幸せを求めて生きていると思います。だったら何故もっと楽しいことや喜びというものを心に与えないのでしょう。もっともっと喜びというものを心に与えてください。

そのために心をマイナス要因にとらわれない事。心持ちを極力転換させて良い方面から物事をとらえる事です。心がマイナス要因にとらわれないという事は、心にとってプラスなのです。つまり程度の差こそあれ、それは心に喜びや楽しみを与えている状態という事なのです。

だから究極的に、心をとらわれるな。つまり無心になれと言っているのです。

まあ、心武道ということで武道におけるもっとも強い心持ちである「無心」ということから幸福な生活を送るための心の活用方法みたいな事を書いてきましたが、もっと簡単な方法があるのです。

それは、また後ほど書かせて頂きたいと思います。みなさん、心の鍛錬も心武道の重要な稽古の一つです。いつでもどこでも稽古はできます。頑張って下さい!では。(^O^)/

宮本武蔵のエピソード。 - 瀧田 巖(男性)

2006/07/27 (Thu) 00:45:49

熊本藩の当主である細川公が、客分として居候していた宮本武蔵に聞きました。

「武蔵殿は、60回以上もの真剣勝負をされたそうだが、その勝負の最中、負けやしないかと思ったことはなかったか?」

「皆、心得のある武芸者でありましたが、そのような心になったことは一度もありません。」

「それはまたどうして?」

「私はもともと師匠から剣術というものを教わったものではありません。山の中で手ごろな木の枝を切って、それを幾十本となく縄で上から吊るして、その枝を下から手当たり次第になぐり付けると、跳ね返ってきます。それに当たらない間合いを極めたのが私の兵法でございます。

したがって、人と試合をするとき、命の取り合いをするとか、試合をするとかいう考えで勝負をしていません。ただ、吊るした木の枝から自分が逃れる間合いをはかって、それに当たらないようにしているだけでございます。それと同じ気持ちを、人を相手にしたときでもするだけで、木よりも人の方が相手にしやすいようです。」

「なんと。また、異なことを。」

「木は当然ながら無心であり、恐れを知りません。恐れは私のみに感じるものです。しかし、人間同士の場合は、相手の方がこちらを恐れます。恐れるために、こちらが向かうと相手は逃げます。しかし、木は逃げません。それだけに、木にはときどき負けましたが、人間の刀には当たったことがありません。ゆえに負けたことはないのです。」



よしっ!明日は、まず、木を切りに行こうっ!<(`^´)>

無心について。 - 瀧田 巖(男性)

2006/07/26 (Wed) 23:59:23

「心はいずこに置こうぞ。敵の身の働きに置けば、敵の身の働きに心を取らるるなり。敵の太刀に心を置けば、敵の太刀に心を取らるるなり。敵を切らんとおもうところに心を置けば、敵を切らんと思うところに心を取らるるなり。我が太刀に心を置けば、我が太刀に心を取らるるなり。人の構えに心を置けば、人の構えに心を取らるるなり。」 沢庵禅師「不動智神妙録」より

「平常心」心に意識したり、執着したりすることがなく、自然に身体も手も足も動いていくとき、その名人の心は無心であり平常心というのである。
                                    柳生宗矩

『兵法の道に自然と自由有て自然と奇特を得、時にあひては拍子を知り、おのづから打、おのづからあたる事是皆空の道なり』     宮本武蔵


「よしあしと思う心をうちすてて 何事となき身となりてみよ」
ひとところに思いをとどめ離れざるは心の病である。勝とうとひとすじに思うのも病である。習いのたけを出そうとひとすじに思うのも病である。打ち懸かろうとひとすじに思うのも病、待とうとばかり思うのも病である。これらの病を捨て去ろうとひとすじに思うのも病。何事も心のひとすじに思い固まった状態は兵法の病気である。病を去るとは、すべての執着を去り、平常心となることである。                     柳生石舟斎

極真時代の私の経験では、勝つ時というのは、結構、勝つということすら考えていないかもしれませんね。絶対負けないぞ!とも考えていなかったような。う~ん。そんな気がします。

無心、平常心、というのは文字どうり無心になろうと努めるのではなく、あらゆる事に心がとらわれない結果、無心になるのだと思います。

よく試合やスパーリングの時にですね、調子がやけに良い時など、何だかパァーッと明るい感じがして相手の姿全体がより鮮明に見え、何が来ても素早く反応できる体と精神状態のときがあります。こういうとき、無心に近い状態になっている気がします。

無心になる。なかなか大変かもしれませんねぇ。でも、到達できないものでもないような気がします。少なくともそういう状態に近づくことはできると思います。

思い出してみて下さい。白帯の頃を。初めのうち先輩の攻撃が全く読めず、判らず、悪戦苦闘で心は乱れっぱなしでしたね。そしてその後、だんだんと先輩の攻撃が見えるようになってはきたけれども、いちいちそれに反応して、心は相手の技にとらわれっぱなしでしたね。

でも、どうですか?経験をつんで受けが身について、帯の色も上がるに連れて、先輩の放つローキックに心がとらわれていますか?ほとんど何も思わずに自然とスネ受けをしていると思います。パンチの受けでもそうですね。

そしてもっともっと上達すると、とらわれるところがもっと少なくなって、さらに何も考えなくとも自然と手足が出てくるようになりますね。攻撃でも受けでも。

つまり程度の差はあれども、無心になる頻度は多くなっているということです。

まあ、昔の達人たちもどこまで無心になったのかはわかりませんが、まさか完璧に無心になったのではないと思います。私は一回の試合やスパーリングの中で70~80%心とらわれることなく戦えたら上出来だと思います。

無心、無心というけれどいったい無心って強いの?はい。強いです。要はとらわれない心、揺れ動かない心、乱れない心、と同じことですので、簡単に言うと、相手の技にあわてることなく的確に対処できます。また、相手にこちらの攻撃の気配を悟らせません。さらに無我、捨て身の境地で来られたら、まあ、たぶん制するのに苦労するでしょうねぇ。

そしてですね、このとらわれない心、揺れ動かない心、乱れない心というのは、人生、生活、生きていくということにおいても、とっても大切なことなんです。そのお話はまたあとでにしますね。では。では。(^O^)/

五戒。 - 瀧田 巖(男性)

2006/07/24 (Mon) 13:17:37

剣道の教えに四戒というのがあります。

正しい剣を使う上で精神的障害をなすもののことなのですが。それは恐、驚、疑、惑の迷妄であると言っております。

・恐(おそ)れる(懼)―相手の体躯態度あるいは風聞等に恐怖心を抱くこと。恐るれば我が全機能を発揮することができない。

・驚(おどろ)く―相手の構え、あるいは技前(わざまえ)に於て全然予知しないことが起き、その異常さに驚いて平常心を失うこと。平常心を失えば事の正かつを誤る。

・疑(うたが)う―相手がどう出るであろうか。何をしかけるであろうかなど疑心暗鬼を生ずることで、疑えば決断ができない。

・惑(まど)う―相手に対してどう仕かけようか、どう応じようかといろいろと思い惑うこと、惑えば適切なる判断ができず果敢なる攻撃ができない。

戦いにおいてのみならず、日常生活においても戒めておきたい事柄ですね。とくに恐れ、惑う、などは特に。

何かそういう心を揺らす事が起きたらすぐに打ち消して下さい。前にも書きましたが、「心ひとつの置き所」です。良い方向から考えて対処していくようにするべきだと思います。要は心を揺らさないということです。

心武道人においては生活の中で何か起こった場合、「あっ、今この時こそ心を揺らしちゃいけない時だ!」と冷静に自己を見つめ、心を揺れ動かさないようにする癖をつけることが肝心です。

初めは上手くそう思えないかもしれませんが、大丈夫です。高い所には一気に上れません。はしごを掛けて一つ一つ上るようにして何回でも挑戦してみて下さい。だんだんと心が揺れ動かなくなってきます。道場をはなれていても、いつでも、どこでも、稽古はできるのです。

あと、私はこの四戒にもう一つ、付け加えたいと思います。それは、「驕り(おごり)」です。驕りというのは戦いにおいても、また、人間関係においても、足をすくわれる一要因です。空手の試合などでも格下の輩に思わぬ奇襲をくらってベテランが負けることがありますね。驕りは本人も知らないうちに隙をつくるのでしょう。戒めたいですね。

柳生の兵法書でしたか、ちょっと忘れましたが、こういうのがあります。

「心こそ心まどわす心なり、心に心、心ゆるすな。」

いつ何時においても、この心持ちでいたいものですね。そのためには覚悟の心、無心、といった心についての理解、修練、修得が大切になってくるのですが、それについては、またあとで書きたいと思います。では。(^O^)/

心と武の道。 - 瀧田 巖(男性)

2006/07/24 (Mon) 12:26:42

稽古の意味。

古(いにしえ)を稽(かんが)えるという意味で、日本古来の伝統的な武道や芸道の修行、練習をいいます。これはただ単に技術のくり返しを意味するのではなく、技や芸に対する自己の確立や心の問題を理念、工夫していくということです。

技術の修得だけではなく、心の在り方をも含めた修練こそが、武道だと思います。心の在り方といっても試合で勝つ為の心、精神状態、心理だけではなく、日常生活といった一番基本的で一番重要な事柄における心の在り方を身につけることこそが肝心だと思います。

技術と試合に勝つ為の心なら他のスポーツでも、そのくらいは修得できますね。でも武道ではそれを生活に役立ててこそ武道なんだと思います。

私の考える武道というのは、何よりもまず、心を重視し、武道でもって体を鍛えていくというものであり、そしてそれを人生に役立てていくというものであります。幸福、成功、自己管理、人に対してどうあるべきか、人間関係、伴侶、家族、仕事、勉学などそういった生きるということ全般に渡って役立つような教えであるべきだと思っています。

武の道だけではなく、心をつくることを中心に据えた道。私はこれを特に心武道と名づけたいと思います。


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